続々々々々々々・智恵子(小)

はじめに

この物語はある作家(家族の強い要望により匿名)の智恵子(小)との深い愛憎の様子を作家本人が記した日記である。
作家自身は発表の場を求めていたが、家族の強い反対により、商業誌での発表は見送られた。そのため一昨年に作家の匿名、また作家を特定できるような個所の非公開を条件としてその一部をSAKANAFISHにて公表した。

今回は、作家自身の強い要望により、前回の続きの公開をするものである。

なお、前回、前々回、前々々回、前々々々回、前々々々々回、前々々々々々回掲載分を
ご覧になりたい方はこちらへ。


8月4日

朝から甚だ涼しい。暑気というのは老体に毒ではあるが、季節を感じられないというのも老人にとっては寂しいものだ。
素麺などもこの涼しさでは全く食が進まぬ。却って鍋などを食いたくなってくる。智恵子(小)は昨日からの猟より
未だ戻らず。「蕊角」にて鳥鍋。汗かきつつ戻る。

8月5日

「抱月」の女将より電話がある。そういえば久しく「抱月」にも赴いていない。Y(編集部判断にて匿名)が来るように
なってから足が遠のいている。Yと言うのは近著の「O」(編集部判断にて匿タイトル)にも現れているが無闇に狷介な
老人である。近年狷介な老人は寧ろ貴重とも思えるが、酒が不味くなる狷介さは迷惑である。ただ狷介なだけで文士が
勤まる理由でも無い。良い鰹が入ったとのことなので明日行くと答えて電話を切る。 智恵子(小)の収穫は猪一頭に
素麺。丹波の素麺は茂みなどに潜み、通りがかった人々の足を搦め取るのだと言う。夕食、素麺、生臭し。

8月6日

昼ごろにW社に向かう。じっとしていると寒いくらいだが、歩くと汗ばむ。ひどく人体というのは難儀なものだ。「魚抱蘭」
文庫化打ち合わせ。「梅堂」で蕎麦。W社のD君にYの噂など聞く。橿原神宮のそばの樫の大木を引き抜いた話、N社の
パーティーで赤松の大木を引き抜いた話など。夕刻、「抱月」。鰹の刺身、酒盗。店を出ると向かいにあった大木が何者
かによって引き抜かれている。11時頃帰宅。

8月7日

昼頃起床。昨日の酒のせいでよく眠れた。昨夜は酔っていたので気づかなかったが、家中のいたるところに素麺が
張り巡らされている。野生の素麺は繁殖力が強く、放っておくと際限なく繁茂するという。麺つゆをかけて回る智恵子(小)。
「麺つゆが腐るととても臭いのよ。」終日、素麺食いに追われる。

8月8日

夕刻起床。素麺というのは食べた時の爽快さとは別にひどく腹にもたれる。涼しくなった頃を見計らい、近くを散策。
巴里などでは電線を地中に埋め、景観を保っているが、遅まきながら日本人もその利点に気づいたらしい。至る所の
電柱が引き抜かれている。 家に帰ると停電。智恵子(小)が「台所でぼうっと光る白いものを見た」と青い顔をしている。
素麺であろう。

8月9日

夜半起床。どうも最近生活時間が乱れてきている。布団から出ると冷たい感触。素麺であろう。

8月10日

起床せず。

8月11日

起床せず。

8月12日

明け方起床。丸二日も眠るのは異常ではあるが、体調はすこぶるよい。小一時間で素麺を平らげる。橘藪来訪。
小指一本で追い払う。 橘藪、何者かによって引き抜かれた門扉の跡の穴に落ちる。無様。智恵子(小)鎌倉大鹿を
捕らえてくる。肉厚。 三頭ばかり平らげて就寝。

8月13日

起床せず。

8月14日

起床せず。

8月15日

起床せず。

8月16日

夜中に目が覚め、寝返りの拍子に左足で何か踏み割る。起きるのも面倒なのでそのまま眠る。

8月17日

こんな夢を見た。どこの山小屋か知らないがひどく風が吹き込む。山小屋というのは避難すべき所なので風が吹いては
山小屋の用を成さない。修理せねば成らぬ。しかし修理道具は川小屋にある。川小屋などはとうに流されている。
海小屋で待って川小屋の流れてくるのを待とうか。しかしただ待つのは退屈でならぬ。できれば酒も欲しいところだ。
女将にもらった酒盗がどこかに残っていたはずだ。そう思っていたら目が覚めた。しかし面倒なのでまた眠る。

8月18日

夜半、ごおおという音で目が覚める。近隣の住人の叫び声が聞こえる。何事かと思い、窓をあけようとしたが面倒なので
また眠る。

8月19日

昼前に起床。ひどく腹が減っているので台所に行こうと思ったが見当たらず。智恵子(小)も今日はひどく(小)だ。
台所はと聞くと足で踏み潰したという。のどが渇いたので近在の池を飲む。背丈、52メートル。どうやら寝たあまりに
大きく育ってしまったようだ。普段はペン以外では役に立たない文士もこの体格があれば何事か役に立つかも知れ
ぬ。近在の人々に何か困ったことはないかと智恵子(小)を情報収集に向かわせる。ワンダーウィーゲル、ゴーゴーゴー。
(時速123km)

8月20日

隣にあったマンションが何者かに引き抜かれ、愛宕山の頂上に置かれている。何者の仕業か。地道な聞き込み。

8月21日

やはりマンション引き抜きの犯人はY。近隣の採石場で文士最終決戦。続く。

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