続々々々々々々々々・智恵子(小)

はじめに

この物語はある作家(家族の強い要望により匿名)の智恵子(小)との深い愛憎の様子を作家本人が記した日記である。
作家自身は発表の場を求めていたが、家族の強い反対により、商業誌での発表は見送られた。そのため一昨年に作家の匿名、また作家を特定できるような個所の非公開を条件としてその一部をSAKANAFISHにて公表した。

今回は、作家自身の強い要望により、前回の続きの公開をするものである。

なお、前回、前々回、前々々回、前々々々回、前々々々々回、前々々々々々回、前々々々々々々回、前々々々々々々回掲載分を ご覧になりたい方はこちらへ。


8月8日

終日執筆のつもりだったがとにかく暑い。老人にはことのほか堪える。冬もまた老人には厳しい。全く、世の中というものは老人に厳しく出来ている。尤も、この世が老人にとってのみ生きやすい世の中となれば世の中の人間は皆老人となるであろう。それはそれで閉口である。夕刻、廊下で灰色の長細い物が大量にうねっている。智恵子(小)に聞くと流し蕎麦だという。水分の無いところで流すなどと論外である。

8月9日

依然暑熱厳しい。昨日流れた蕎麦が本日は家の外まで流れている。近所の野良犬を巻き込ん結構な大河となる。夕刻、「抱月」で餡かけ豆腐。夜も依然暑気止まず。蕎麦川の山葵の臭いが鼻を刺す。
8月10日

全世界に凄惨な事件相次ぐ。嘆息しか出来ない我が身がもどかしい。我等文士に出来る事はペンの他無いが、その力が果たしてどのくらいのものか。ためしにペンの力で氷の塊を彫ってみる。裸婦像。月に雁。熊に鮭。侮り難し、ペンの力。蕎麦の川はすでに流れ去ったようである。

8月11日

橘藪来訪。鹿爪らしく聴診器など使ってみているのが無闇に滑稽。試しにペンの力の一端を見せてやると玄関に吹っ飛ぶ。もはや医学など文学の敵ではない。

8月12日

盆の帰省シーズンらしく、町に人気が無い。折角ペンの力を見せ付けてやるよい機会かと思ったが、時期未だ熟さず、か。

8月13日

無聊。TVをつけると千曲川下流に、大量の蕎麦が流れており、『蕎麦ちゃん』と名づけられて人気を集めているという。馬鹿マスコミが。

8月14日

珍しく「抱月」の女将来訪。色紙揮毫を依頼される。久方振りに筆を執ろうと思うが、執れない。よもや手にしているペンの力と筆の力が反発し合っているのではないか。終日筆を追う。

8月15日

世間では終戦だが、我が家では戦いはまだ始まったばかりである。西瓜などで筆を遠巻きに囲む。持久戦である。

8月16日

冷やし中華の出前を取る。少々安っぽいが少年のころに食べた味を思い出す。夕刻、風も出てきた。「魔業」執筆。

8月17日

昨日油断させた甲斐もなく、筆捕獲ならず。 終日執筆兼筆追い。

8月18日

さて今日も、と筆を追いかけたが、するすると蕎麦に絡めとられる。智恵子(小)は言う。「蕎麦は自分の生まれた川に戻ってくる習性があるのよ」そもそも川は無いのだ。祖国を失った民族の悲しみ。

8月19日

蕎麦に絡まれたまま執筆。意外と悪くない。蕎麦を使ってペンを動かすことも出来る。蕎麦とペンの力の融合である。筆は駄目だ。

8月20日

蕎麦はいい。とてもよい。「抱月」への揮毫も蕎麦で行なう。「臥猪鵝翔」とはまさに今の私のためにある言葉だ。

8月21日

明けても暮れても山葵である。山葵山葵山葵である。とろろもよい。

8月22日

帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう帰ろう祖国へ帰ろうあの生まれた川へと帰ろう。

8月22日

藪藪橘藪橘来訪。なにやら蕎麦にまみれている。智恵子(小)に塩を撒かせて追い返す。それにしても此処は何処だ。

8月23日

終日山下り。一体どうしてこんなところにいるのか。標高もわからない。おかげで暑気払いにはなるが。夕食になにともわからない茸。

10月24日

山道を抜けると一面の蕎麦の花。ここだここだここだここだ。なんだ今のは。

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