半額忠臣蔵
万雷落つの巻
田村右京太夫建顕の右腕がぶるっと震えた。
右京太夫の苛立ちを抑える時の癖である。
大名というのは世の人々が思うほど楽な仕事ではない。
うかつな言動をすれば幕府ににらまれ、取り潰されてしまう。
家康、秀忠、家光の三代で潰された大名は類挙に暇が無い。
加賀藩三代藩主前田利常は、常に鼻毛を伸ばしていた。
馬鹿と思わせて、幕府に対する謀反を企てる器ではないと
思わせようとしたのだ。
肥後五十二万石の太守、加藤忠広は息子光広の悪戯が原因で
改易された。このことを発表した場で、越後村上藩主堀直寄は、
声を上げて泣いた。信濃飯田藩主脇坂安元も涙をこぼした。
忠広の不運に対する同情の故であろうが、両人には目付がつけられたという。
大名の感情一つで、その家には危機が訪れることもあるのだ。
だから右京太夫は自分自身の感情をできるだけ制御するようにつとめていた。
陸奥一関の田村家は征夷大将軍坂上田村麻呂を始祖とする
名門である。清顕の娘が伊達政宗の妻となり、その子宗良が田村家を継いだ。
宗良は伊達家の有力な親族として伯父の兵部宗勝とともに、仙台伊達
本家当主、綱村の後見役となった。だが、それが田村家に危機をもたらした。
伊達騒動である。
宗勝は改易、流罪。宗良は閉門を命ぜられた。
伊達家本家すら取り潰しを危惧されたほどの騒動である。
右京太夫建顕は、この危機の中で家を継いだ。武神とも言うべき坂上
田村麻呂の名と、奥羽一の名将伊達政宗の血を引く田村家を自分の
代で潰すわけにはいかない。
堪えねば―――。
取り潰しの危機を身近に 感じた彼は、 田村家を守るために自分自身の感情を
犠牲にすることにした。 登城した際には、いかに腹の立つことがあっても堪えた。
感情がほとばしりそうになった時には、伊達騒動の際の父の蒼白な顔を思い出した。
母は人前では平静を装ってはいたが、時折、体を震わせていた。それを思い出して、
右京太夫は堪えた。その度、右京太夫の右腕も震えた。二十数年間、右京太夫は
耐えた。幕府には献身的に仕えた。将軍綱吉の信頼も勝ち得、通例では譜代大名
しか任ぜられない奏者番の地位まで得た。内政にも力を注いだ。一関では後に中興の
祖と称えられている。
だから、右京太夫は苛立っていた。
右京太夫と十数年も離れた青年大名の行動はあまりにも軽率であった。
何があったかは知らない。 武士として堪忍しがたいこともあるであろう。
しかし、殿中で刀を抜くなど――。
事件当時、登城していたただ一人の奏者番であった右京太夫の家に、
浅野内匠頭長矩は預けられた。そして、即日切腹の沙汰が下った。
大目付庄田下総守は庭先で切腹させろという。
罪人とはいえ、大名である長矩にあまりに非礼ではないか。そうは思ったが、 幕命に
抗するわけにはいかない。
田村家屋敷の白砂の庭に畳が引き出された。 真っ白い麻裃姿の内匠頭は唇まで
蒼白にしながら座っていた。
痩せたな、と右京太夫は思った。
さほど面識があったわけではない。しかし、そんな気がした。耐え切れなかった青年。
愚かな、とは思いながらも、一抹の同情心もあった。二十数年間の、綱渡りのような
大名生活。その一条の綱を落ちれば、彼のようになっていた。――哀れな。
せめて、最期を迎える時まで不自由の無いようにしてやろう。
「何か、ご所望のものはございませんかな、内匠頭殿。」
「は…」
内匠頭の唇は蒼白であった。父も、こうであったな。右京太夫はぶるりと右腕を震わせた。
「どなたかにお伝えしたいことなど、ありますかな。筆と戟Eは用意してございますが…」
「国許には…赤穂には、伝えが行きましたか。」
上ずった声だった。右京太夫の言葉を聞いていないかのようであった。
「無論でありましょう。御城よりも使者が赴いておるはずゆえに。」
「ほんの少し、待ってはいただけますまいか。」
「待つ…とは。」
内匠頭は追い立てられるように言った。
「私の家老に大石内蔵助と申すものがおりまする、私は、私は、彼に伝えねばならないことが
ござりまする、それゆえ、内蔵助が到着するまでの間、切腹を待っていただきたいので
ございます!」
並大抵の動転ではない。内匠頭の国許赤穂と江戸の距離は百五十五里(620Km)。
夜を日に継いでも四日はかかる。幕命は、即日切腹。すでに検使・大目付庄田下総守と
目付多門伝八郎、大久保権左衛門は、検使の座についている。たとえ、内蔵助が赤穂を
今出たとしても、間に合う訳は無い。
「それはさすがに無理でございますよ、内匠頭殿…」
「一刻で十分にございます!私は、内蔵助に、吹Eが非でも伝えねばならないことがござります!
それを伝えねば、死んでも死に切れませぬ!」
言っていることは無茶苦茶である。だが、その目は真剣そのものである。
武士は相身互いという。その真摯さだけは右京太夫にはひしひしと伝わってきた。
思わず、答えた。
「わかりました、私にお任せください。」
武士に、二言は無い。
右京太夫は頭を抱えた。庄田下総守は絵に描いたような堅物である。現に、庭先での
切腹を不服に思った多門伝八郎と大久保権左衛門の抗議をにべもなくはねつけた。
そんな下総守が、切腹の時間の延期など聞いてくれるわけも無い。悪くすれば、田村家の
存亡に関わるような事態にもなりかねない。浅野内匠頭についた物の怪が、儂に取り憑いて
堪忍を消し飛ばさせたか、そんなあらぬことも考えた。
だが、かくなる上はやむをえない。死を前にした武士との約を違えることなど、遠祖坂上田村
麻呂と、祖父伊達政宗の名が許さないのである。
「下総守殿。」
「準備は整いましたか、右京太夫殿。」
「いや、何分にもこのようなことは初めてでございましてな、手落ちがあってはなりませぬ。
少々、ご確認いただきたいところもございます。」
「お心がけはご殊勝でございますが、見たところ、特に手落ちというところは無い様でございますが。」
「いえ、念には念をと申しますゆえ、お手数をかけまする。」
「さすがに右京太夫殿は細心であられる。上様のお覚えもめでたいわけですな。」
庄田下総守はにこりともせずに床几から立ち上がった。
「これが、介錯用の備前長船にございます。」
「ふむ、立派なものですな。よろしいでしょう。」
「これなる刀は伊達家家臣の鬼庭家に伝わるものを、良直の代にいたりまして、政宗公に献上
されたものです。政宗公はこの刀をたいへん愛玩されたとか。」
「ほう。政宗公が。」
「夜寝るときも肌身離さず抱かれまして、 その時のよだれのあとでございましょうかな、このしみは。」
「真剣を、でございますかな。」
「その後あとをお継ぎになられた我が祖父忠宗公もたいへんお気に入りでございまして。」
「ほう。」
「忠宗公は木刀での剣術の練習の際にも、かたわらにこの刀を抜き身で置いておかれたとか。
名刀の白刃が側にあると思えば、心身が研ぎ澄まされると申されまして。」
「ようわかりました。ではそろそろ…。」
「ですが、思わずその白刃の上に座ってしまったことも一度や二度ではないそうでございます。
全く忠宗公もそそっかしいったらありゃしないと当時の語り草になったとかならないとか。」
「右京太夫殿…」
「ですが、この刀というものは、押す力では斬れないのです。引く力が加わってはじめて斬れるもので
ございますゆえに、忠宗公も若干血まみれになるぐらいで大事には至らなかったようでございます。
まったく、伊達家の武運というものでございましょうかな、八幡大菩薩のご加護というもので
ございますかな。」
「…たいへんようわかりました。」
「そうそう、我が父宗良の時にも…」
「刀のことはようわかりましたっ!」
「さようでございますか、安心いたしました。では、次にこの三宝でございますが、この材質は我が
領内の栗駒山より切り出した、柏の木でございます。この栗駒山というのが大変よい眺めでござい
ましてな、秋晴れの日などは身も心も灌がれるような、そんな気にさせる、と申しますかな…」
右京太夫の堪忍のほかの、もう一つの武器が、話を引き伸ばすことであった。
将軍綱吉は講義好きである。大名の家に出向いて儒教の講義をするのが趣味なのである。
普段の生活でも何かと説教臭い。説教したさが嵩じて生類憐みの令などを出してしまったりする。
そうした説教の長さに耐え切れず失脚した側近も多い。そこで右京太夫が編み出したのが受け答えの
長さである。返事を長々とすることにより、綱吉の説教を真摯に受け止めているように見せ、かつ
自分自身の眠気を防ぐ。また、そのことで綱吉の説教時間を短縮する効果もあった。
「右京太夫と話した翌朝は、体調がいい。」
綱吉はそう言っていた。ほかの日は体調を崩すほど喋っていたのであるから当然である。
右京太夫は鍛え上げたその技をここぞとばかりに使った。
しかし、庄田下総守はあまりにも堅物であった。
「もうよろしゅうござるっ!私の責任ですべてお引き受けいたすっ!切腹の準備をっ!」
「内匠頭殿…」
「あの…内蔵助は…」
「もう、一刻も過ぎました。もう限界でございますゆえに…お覚悟めされよ。」
「もう…あの…半刻ばかり…待ってはいただけますまいか…」
「なんとっ!」
枯れ果てた声で右京太夫は叫んだ。
「もう無理にございます!これ以上引き伸ばすのは、臆したと受け取られましょうぞっ!最期を
潔くされませぬと、名が、末代までも穢れますぞっ!」
「そこをっ!もう!なんとかっ!私は命を惜しんでいるのではございませぬっ!ただ、赤穂のっ!
家中の侍のことがっ!そのためにっ!内蔵助にっ!伝えねばならないことがっ!」
「家中のことを思うのであれば、何故かようなことをされたっ!」
右京太夫の右腕は激しく震えた。大名の忍耐。それを投げうった内匠頭の姿に、右京太夫は
ついに苛立ちを隠せなくなった。
「…私は取り返しのつかない不始末をいたしました…」
内匠頭の口から出たのは静かな言葉であった。右京太夫は自分が激情にとらわれていたことを
初めて悟った。
「私の後始末を、安心して任せることができるのは、内蔵助ばかりにござります…。その内蔵助に、
私が直接伝えねば…私は…主君としての最後の勤めを果たせぬことになってしまうのでございます…。
なにとぞ…半刻、半刻ばかりお待ちくださいませ。さすれば、内蔵助は、必ずやってくるのでござい
ます…。万一、半刻経って、内蔵助が来なければ、首をおはねくださいませ。」
「……。」
どのように考えても無理である。半刻が三日であっても無理なのである。いまさら、内匠頭に
半刻の時を与えることがどのような利益になるかはわからない。内匠頭は切腹を恐れて無理な
引き伸ばしをした、そのような汚名を残すばかりである。堪忍も思慮も足らぬ、臆病な大名――。
だが、右京太夫はまたしてもこう言ってしまった。
「わかりました、私にお任せください。」
繰り返すが、武士に二言は無い。
「ハムスターが逃げたぞーーっ!」
田村家江戸屋敷随一の大声の持ち主、橋本助左衛門の大音声が響き渡った。
田村安芸、吉田豊前、菅主水といった田村家の家臣たちが、長柄の槍や薙刀などを手に
庭に降り立つ。右京太夫は南蛮鉄の鎧兜に猩猩緋の陣羽織、田村家累代の田村茗荷の旗を
たなびかせ、白砂を踏みしめ仁王立ちである。
「検使の方々、少々たいへんなことになり申した。」
「いかがなされたのですか、この騒ぎは!」
庄田下総守の驚く顔に、右京太夫の右腕がぶるっと震えた。今度ばかりは、苛立ちが原因ではない。
「このような際に申し訳ない、実は、上様に御覧にかけようと思っていた、ハムスターが逃げ出しましての。」
「ハム…なんですと?」
「ハムスターでござる。奥羽山中に昔からおるといわれる獣でしてな、身の丈六尺、重さは二十五貫、
全身斑で、二百八十九本の毒針を持ち、ぬめぬめとした体液を分泌し、体からはニガヨモギのような
臭いを出すというものでござる。」
「そ、そのような獣、聞いたことも…。」
「そっちに行ったぞーっ!囲めーっ!囲めーっ!」
ごすっごすっごすっ、爆音を上げて斑模様の塊が走りこんできた。驚いて床几から立とうとした大久保
権左衛門を跳ね飛ばし、ハムスターは庭を縦横に駆け巡る。
「おのれ、妖怪変化!この庄田下総守が、召し取ってくれるわっ!」
「傷をつけないようにお願いしますよ!御上覧にかけなくてはなりませぬから!」
よい家臣を持って幸せだ、右京太夫は思った。ぬめぬめとした紫色の体液を出しながら、庄田下総守と
渡り合う似島作左衛門の姿は、まさに妖怪変化であった。しかし、将軍に見せていいものかな、とも
思った。
騒ぎの中で、浅野内匠頭長矩は、日の落ちんとする西の空を見つめている。赤穂の方角である。
夕日の朱色に染まる内匠頭の麻裃が、ひどくまぶしく感じられた。
「大目付奥儀!元禄生類憐み波っ!!」
どうっ、とハムスター、似島作左衛門の倒れる音がした。終わりか、右京太夫は嘆息した。
その時である。西の空の上空から、大気との摩擦熱で真っ赤に燃え上がった大石内蔵助と、半分炭化した
萱野三平が落ちてきたのは。
(了)
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