第三回講座 紋様と家紋
さて、今回のお話でも出てまいりましたが、武士の持ち物にはその家の家紋などが あしらわれています。徳川家の家紋三つ葉葵などは時代劇ドラマなどでお馴染みの方も
多いかと思われます。今回はそういった家紋、そして江戸時代の人々の服飾などに 用いられた紋様などについて説明したいと思います 。
一、家紋 一般に家紋が発生したのは平安後期から鎌倉時代ごろと言われています。
公家などが個人の持ち物につけた印(しるし)という特有のモチーフを用いた デザインは平安時代の中ごろから使われていました。現在でも皇室では この印は使われております。
その印の発想は個人の識別ということです。しかし、武士の時代になると 話は少々違ってまいります。 武士は大勢の中でどれだけ首を取るか、どれだけの戦いぶりをするかが
恩賞やその後の名声などにじかに響いてきます。それはすなわち一族の命運に かかってきます。 戦いぶりを証明する最も有効な手段、それは人に自分の存在を目撃してもらい、
証人となってもらうことです。 そのための目印として家紋は用いられました。 北条氏の三つ鱗、足利家の二引両 、新田氏の大中黒など、この時代の家紋は
比較的単純でした。時代が下ると家紋のデザインは多様化、複雑化していきます。 以下に有名な戦国大名の家紋の例を挙げて起きます。
三つ鱗 (北条氏) 二引両(足利氏) 大中黒(新田氏)
蛇の目(加藤氏) 丸に三つ鱗(平野氏) 丸に竪二引両(波多野氏)
丸に十字(島津氏) 釘抜(三好氏) 日光月光(姉小路氏)
黒餅(黒田氏) 丸の内釘抜(田中氏) 角の内月(小栗氏)
輪鼓に手鞠(内藤氏) 丸に州浜(坪内氏) 日の丸(比留氏) ほかに特徴的な家紋としては池田氏の揚羽蝶、相馬氏の繋ぎ馬、 伊達氏の竹に二羽飛雀、徳川氏の三つ葉葵などがありますが、
ここに例を出すのはやめておきます。 家紋は、家格を表すものでもあります。豊臣家の桐紋は本来皇室の紋で、 桐の紋の使用を許された家柄であるという意味です。
江戸期の葵の紋も同じように高い権威がありました。 将軍家が使用する葵の紋は将軍本人と大御所(隠居した将軍)と 将軍家の跡取りしか使用できませんでした。御三家や松平家の一族が
使用する紋は微妙に違っています。紋一つでその家や人の身分に決定的な 区別があるわけです。 ですから当時の武家は家紋を非常に大切にしました。
武士が家紋に寄せる思いを理解していただけたら幸いです。 二、紋様
室町時代後期から、染色・機織の技術は飛躍的に向上しました。 衣服はただ一色で染めただけではなく、さまざまな紋様が施されるように なりました。安土桃山時代頃からは南蛮船貿易や、中国貿易などで
海外の優れたデザインも導入され、一層多様化されていきます。 鎖国を迎えても独特の発展を続け、次々に新しい紋様を生み出してきました。 元禄時代に華美な装いが流行するとますます紋様は発達していきます。
この江戸時代に発達した紋様は江戸小紋と呼ばれます。 武家などは家紋と同じように独自の小紋などを用いました。 以下が代表的な江戸小紋です。
千鳥格子 疋田鹿の子 梅小紋
水分子小紋 黒餅紋様 溶かしバター格子
オードブル紋 密室殺人紋
太陽紋
コーリン鉛筆紋 日本住血吸虫紋様 犬神佐清(青沼静馬)紋様
第三暗黒惑星紋 暗黒太陽紋 紋のように見えますが穴紋 (参考文献・参考サイト
「家紋大全」 飯島浩三 名報堂出版 「武帳」 平戸洸参会 篇 「江戸の服飾」 町田衣装史編纂会 「せかいのかんたんなかもん」 こどものとも社
「倭寇」 棚倉和夫 十分社 戦国武鑑-戦国武将の家紋 http://www2.harimaya.com/sengoku/index.html
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