妖怪とは「あやしなるもの」とされ、森羅万象にあらゆる神格が存在すると見る、アニミズムが変化して成立したものとされる。
民間伝承などで語り継がれてきたが、江戸時代に出版業が発達して以来多種多様な妖怪が生み出され、現代でもゲゲゲの鬼太郎などによって人々に親しまれている。
これら妖怪の多くは、大成した時の生活様式を固守し続けるものが多い。例えばお菊さんは決して割れない加工をした皿を早明浦ダムで数えることはしないし、小豆洗いもレンズマメを全自動洗濯機で洗ったりすることは無い。これは、その妖怪のアイデンティティというのは発生時点に確立されるとされており、それを逸脱するものは別種の妖怪となってしまうからである。また、妖怪に神秘性や懐古趣味などを求める人士には妖怪の生活様式の変異が一種の堕落としてとらえられることもあり、そういった顧客層の意向を汲んだ妖怪社会もそのような変化を許容しない雰囲気がある。
しかし、まれに現代社会に過度に順応した妖怪が見られることがある。特にその動きは1990年代のバブル崩壊時から強いものとなる。保守的な妖怪層からは快く見られてはいないが、現代っ子ならではの要領のよさでそういった批判をたくみにすり抜け、長屋龍興などの妖怪評論化かからは「ちゃっかりしてらあ」などと評されている。
長屋龍興(1996〜)
雪女とは、雪山に住み人々を凍死させたり嫁になったり風呂に入って溶けたりする妖怪の総称である。
一般に雪のように白い肌を持つ美女とされ、雪山の持つ厳粛性、神秘性の象徴ともされている
。しかし近年ではスキーやスノーボードの流行で雪山の観光地化が進み、また地球温暖化の影響もあり、雪山の神秘性、厳粛性も減少しつつあるとされる。
そのため、雪女のなかにも気持ちが半ばとろけ、ゆるい性格にゆるい行動をとるものが1990年代から現れる。これらの雪女は一種の蔑称として「みぞれ女」と呼ばれる
。
雪女(みぞれ女)
みぞれ女は通りがかった村人(みぞれ女の場合は市民でも可)を凍死させようとしたりしなかったり、また凍死させようとしても途中でたやすく投げ出したり、嫁になるかと思えばメル友で済ましたりするなど、行動が徹底しないとされる。
伝統的な雪女からは批判されるが、基本的に話もろくに聞かないとされるため、更なる温暖化の進展により「雨女」となるのを待つしかないとするあきらめの声も聞かれる
。
デュラハン
デュラハンとは、西洋に存在する魔物とされる。
全身を鎧につつんだ騎士の姿であるが首が無く、その首を小脇に抱えている。
誇り高い騎士ではあるが、騎士の別な一面として小領主としての側面も持っており、領地の経営もおこたりは無かった。
しかし中世以降の王権の伸張や近代以降の市民勢力の台頭により、そうした騎士の特権は徐々に奪われた。絶望したデュラハンの中には自ら首くくるものもあったが、経営感覚に優れたデュラハンの一部は馬をトラックに乗り換え運送業や配達業を営むものも現れた。
デュラハン(首岳運輸)
元々行動時間が夜間であったデュラハンは、普通の配達業では行なわない深夜配達などの分野に積極的に参入、また、いくら酒を飲んでも体に一滴も入らないため飲酒運転の恐れも無い優良ドライバーであることも幸いし、販路を拡大している。
時折荷物の代わりに自らの生首を届けてしまうお茶目な一面も持つが、近年の道路交通法改正による影響で、運転席に生首を置いていかざるを得ず、こうした風景も徐々に減少していくと見られる
。
デュラハンは江戸時代には存在せず、いわゆる妖怪ではない。
しかし現代社会に最も適応した魔物とされ、地球規模での現代っ子妖怪のパイオニアであり、ソートリーダーとも呼ばれる。妖怪ビジネス雑誌などでも大きく取り上げられるなど、現代妖怪に与える影響は極めて大きいものがあるためこの項で取り上げた。
ぬりかべとは、突然目の前に現れる巨大な壁の妖怪である。
一般に巨大な漆喰壁であるが近年の建築環境の変化により漆喰壁も減少し、また、ぬりかべ界の一部で唱えられていた「我々は塗られた壁である、だからぬられたかべが正しく、ぬりかべという呼称はふさわしくない」という被塗壁説がぬりかべ界で主流になったために起こった大分裂(壁シスマ)、またベルリンの壁などによる壁全般のイメージ低下、若者層に見られる「壁は乗り越えるものじゃなく壊すものだ」という思想の蔓延によりぬりかべは減少の一途をたどっている。
そのため現在では壁にこだわらず、塗られている塗られていないに関わらずぬりかべでありつづけようとする、「ぬりかべ復興運動」が提唱されている。
この運動は今までぬりかべとは認められていなかったぬりかべ類に属するものをも「プレ・ぬりかべ」「ヌーヴォーぬりかべ」「ぬりかべ青の時代」などに区分し、ぬりかべの大同団結をはかるもので、別名「パン・ヌリカヴィズム」とも呼ばれている。
プレぬりかべには「粘土」や「紙粘土」や「仕切り」、ヌーヴォーぬりかべには「モルタル」や「壁紙」や「パーテーション」、ぬりかべ青の時代には「バリヤー」や「厚揚げ」や「フレンチトースト」や「ラスク」があげられる。
ぬりかべ(フレンチ)
こういった運動には保守的なぬりかべは概して否定的であるが、保守ぬりかべは反対の動きを起こせないほど腰が重く、 このこともぬりかべの衰退に拍車をかけているという見方も存在する。
こうした現代っ子妖怪の数は現在ではまだそれほど多くない。しかし妖怪マスメディアでは連日大きく取り上げられ、一種の社会問題となっている。
こうした現代っ子妖怪の存在は、一時代に影響された仇花というさめた見方も存在するが、妖怪が妖怪であり続ける理由と価値は何か、という問いを妖怪界に投げかけるものであるという見方も存在する。そうであるならば、この動きは時代の変化によりますます強くなるであろう。現代っ子妖怪の姿は未来の妖怪であるかもしれない。