今月の質問者 ● アロエリーノさん
どうして餅は焼いたら膨らむの?

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質問者 ● ニンジャさん
悪いことをすることを「手を汚す」等と申しますが
悪事から抜けることを「足を洗う」等と抜かしやがります。
これでは根本的な解決になっていないように見受けられます。
一度悪に染まったものは二度とかたぎには戻れない、
そういうことなのでしょうか?

「足を洗う」
この言葉の語源は意外と新しく明治時代であるといわれています。
帝国議会の開院式に向かう明治天皇の行列に、一人の老人が近づいてきました。
「お願いでございます。」手には直訴状を持っています。
老人を取り押さえた警察はその正体にびっくりしました。なんと元衆議院議員の田中正造だったのです。
田中正造は 足尾銅山の鉱毒問題を議会で追及していたことで知られる政治家でした。
直訴状の中身も天皇自身に足尾問題の解決を求めるものだったのです。
警察は、この事件に背後関係があるかどうか調べだしました。「足尾を洗え!」
このことから、田中正造の行動のようにすべてを捨てて新しい行動に移ることを「足尾を洗う」と
いうようになり、今までのしがらみから逃れるという意味になり、やがて業界から出ると言う意味に
使われるようになりました。
さて、「手を汚す」ですが、これはセルビアの地下組織「黒手組」に由来するといわれていますが
さだかではありません。 つまり、由来が全然別の言葉なのです。
そして、 何よりも大事なことは、「外で手を汚しても、家に帰ったら手を洗ってうがいをする」
これを悪人だって守っているのだ、ということなのです。

 

質問者 ● あさみさん
しまうまはどうしてシマシマもようなんですか?

昔は「みずたまうま」や「ぺいずりーうま」や「うめこばちうま」など、さまざまな模様の馬がいました。
しまうまもそんな流れの中で登場した馬です。
なぜしましまの馬にしたかというと、よこしまの馬が当時ブームだったために行なわれた一種の便乗馬です。
では、なぜしましまの馬だけが残ったのでしょう。
それはほかの模様がある馬は、特徴が強かったために飽きられてしまったのです。
流行を追い続けるとろくなことにならないと言うことです。



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