1.赤い絵の具のトルソ
(2002年・アメリカ)
ジャック・スティーブンソン監督
マコーレー・ウィルキンソン
ジェシカ・ゴットワルト
<(STORY)>
貧乏な絵描き・ジョンソンが農村に移り住んで
絵を描こうとするが、外来者を受け入れたことのない
村人達との関係は妙にちぐはぐで…
冒頭から納得する男達の姿で始まり、何のことだかよくわからないまま話は進む。そのほかにも、「エドガーのようになりたいのか」という台詞がよく主人公に投げかけられるが、そのエドガーが誰なのか、どうなったのかも最後までまったく触れられない。主人公もそれをまったく聞こうともしない。アメリカにそういうことわざでもあるのかと思ったが、心当たりがない。
この映画を何の予備知識もないまま見ようとすると、私と同じような当惑を感じずにはいられないだろう。
この映画は horse movie(馬映画)という、最近アメリカでよくある形式の映画なのである。前後編のある映画を、後編から先に製作し、公開すると言う映画である。ギリシャ神話の半人半馬のケンタウロスになぞらえたものだそうだが、人を置き去りにして馬ばかりが走ってしまっては意味が無いのではないか。
そのために、ジョンソンという男の人物像をとらえるのにも苦労する。そもそもジョンソンが絵描きだということに気づくのにずいぶんとかかった。前半では旋盤の機械を値切っている姿ばかりである。町工場の経営者だとばかり思っていた。主人公には芸術家らしい繊細さ、自己中心さがまったく現れておらず、実直さばかり目立つ。汗を拭くのにベレー帽を使ったからといって絵描きだとわかるものか。
後半ではそれを取り返すかのようにやたらと画家らしいシーンが出てくるが、それにしても出来上がる絵の量が多すぎる。窓の外のミッチェル(主人公に興味を持つ若い娘、と言う設定らしいが、なぜスーパーの紙袋をかぶっているのかがよくわからない。)に呼びかけられて振り返るだけのシーンの間に、3枚も絵が描きあがっている。終盤になると風景の九割が絵である。しかもぜんぜん作風が違う。このような気になる点を挙げていけば際限が無い。
しかしそういった些細な点を除けば、スティーブンソン監督の物語描写は成功していると見ていいだろう。特にジョンソンに買ったケーキをたたきつけられるマクビランのシーンは、強い衝撃をあたえる。飛び散ったクリームがカメラについて、次のシーンになっても、その次のシーンになっても取れない様は、マクビランにも、そしてたたきつけたジョンソン自身に残った心の傷を見事に表現している。さらに最大のクライマックスであるクラークの大パイ投げシーンではカメラについたクリームが最後まで取れないという、今までに無い斬新な演出がまさに圧巻である。その他、ジョンソンの買った旋盤をねたむボブ役のポール・マクビソンの好演など、村人達の人物は、ジョンソンのキャラクターの弱さに比べて強烈に我々に訴えかけてくる。それと対比しての都会人の芸術家であるジョンソンの存在の小ささがいやおう無く浮かび上がってくる。そういった人間本来の姿から離れて人間を描こうとすることの愚かさを人々との食い違いを通じて見事にあらわしている佳品。
なお、前編となる「青い絵の具のデッサン」の製作予定は未定。
加賀城晴賢
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